昨日の記事。

上の記事で
顕在意識が作り出す偽物の願望と
潜在意識が作り出す強制的な(本物の)願望
があるということを書いた。
じゃあ偽物の願望と本物の願望の見分けはつくのだろうか?ということを今回は考えてみたい。
本物の願望の場合は、わたしたちにはなんの自由意志もなく湧いて出てきたものなので、
なぜそうしたいの?と理由を聞かれた時に
「なぜと言われましても…」
となるものなのではないかと思う。
偽物の願望の場合は、自分の思考で一生懸命考えて導き出したものなので
「これをやればキャリアアップに繋がるからです!」とか
「安定した仕事だからです!」とか
しっかりとした理由を述べられる。
まあそれなりにまっとうな理由であることも多いから
チャレンジするのはいいとおもう。
偽物の願望を叶えてはいけないというわけではない。
ただ、人生の流れに乗っているわけではないというだけのこと。
理由はわからないけれどなぜか惹かれるもの、やってみたいと思うこと。
そういうものに素直に従うのが
人生の流れに身を任せるということになる。
私の例を出してみよう。
2年ほど前、ダンスでもやってみようかと急に思い立った。
今まで全く興味なんてなかったし、なんなら運動神経は悪い方だし、できればスポーツなんてやりたくないと思っていた。
それでもなぜか唐突にやってみたくなったのだ。
そしてちょうどローカル新聞にダンススクールが載っていたので、そこに行くことに決めた。
どこのスクールに行こうか?と吟味もしていない。
紙面に載っている先生の笑顔が素敵だったからここのスクールにした。
散々周囲に「なんで急にダンス???」と聞かれたが
「いや、まあ、やってみたかったから…?」という
2秒で終わる会話を繰り広げるほかなかった。
明らかにダンスをやっていそうなタイプの人間ではないので、周囲も戸惑ったのだろう。
すまんな。
で、実際にやってみると「あれ?なんか私…そこそこ踊れるんじゃね?」
と気が付いた。
もちろんプロレベルではないし、決して上手いわけではないが
自分で思っていたよりも踊れる。
まあそれだけでも楽しみができて良かったのだが
さらに良かったのは、交友関係が広がったことだ。
昨年、このダンススクール経由で、ボランティア団体の代表の方と出会うことができた。
しかも私がボランティア活動にちょっと興味あるな~と思っていたタイミングで。
ちなみにボランティアに興味を持ち始めたのも特に理由はない。
日本をどげんかせんといかん!みたいな熱い意思もないのだが、なぜかやってみたいと思っていた。
そしてそのあとすぐに能登で大きな地震があった。
被災地に一般人が入れる状況になった頃、ボランティア団体の代表の方から能登に行かないかという連絡をもらった。
この時、本当は他の用事が入っていたのだが、
なんか気が乗らねえな~行きたくねえな~~と思っていたのでキャンセルしたタイミングだった。
ちょうどその枠を埋めるようにボランティアの連絡がきたので
ジャストタイミングだと思い、参加を決めた。
ここでも何度か「なんで急にボランティア???」と聞かれたが
「え、いや、なんとなく行った方がいいかなと思って…」
としか答えようがなかった。
そして実際に参加すると、想像以上に多くの人と出会うことができたし
自分の目で被災地を見ると、さすがになにか自分もやらなければと思うことが出てきた(←今ここ)
と、まあそんな感じで、
なんとなくダンスやってみたな~と思ったことからここまで繋がってきたわけです。
これからさらにどこに流れていくのかはわからないけれど
「何かに乗っている感」はある。
あと、気が乗らない予定をキャンセルしたら他の誘いが入ったように
先に要らないものを捨てるというのも結構大事なのではないかと思った。
今、手放そうかどうか迷っているものがある。
それをどうするかなんだよな~~
ここまで書いておいてなんだが、捨てるのが怖い。
でも多分要らないんだよな~~~~
ああぁぁ~~~~
という状態。
まあなるようになるか、という気持ちで日々淡々と生きていこう。