たまに「私たち人間には自由意思はない」ということを聞く。
今までは「は?いや全部自分で決めているんですけど?」と思っていたけれど、今日初めて「我々には自由意思はない」説の片鱗を感じた。
急に何かに興味がわき始めるとか、急に今までやったことのないことに挑戦したくなるとか
そういうのってもはや私の意志には関係なくないか?
アンガーマネジメントってやつがあるように、
感情を都合のいいようにコントロールすることはできるけれど
一番最初にカっとなるこの衝動が湧いてくるのはどうしようもなくないか?
何かに興味を持った時に、現実的になにかアクションをおこすかどうかは確かに自分で決められるけれど
「興味を持つ」の段階では何の自由意志もない。
おーし、今日からこれに興味を持つぞー!なんて思っていないから。
そんなこと自分ではコントロールできない。
なんかしらんけど気が付いたら興味を持ってる。
恋みたいな感じ?
そういえば恋に落ちるか落ちないかにも自由意志はない。
つまり、頭の中で起こることはほぼ全て恋みたいなものなのかもしれない。
制御できない。無理やり押さえつけることはできるけれど、興味がわくこと自体はどう頑張っても止められない。
じゃあこの「興味を持つ」というのは誰からの命令なのか?
誰がコントロールしているのか?
どこから湧いてくるのか?
というと、分からない。
わからないから、スピリチュアル界隈でよく言われる
「潜在意識」とか「無意識領域」とか「ハイヤーセルフ」とか
結局そういう結論に行きつく。
で、「潜在意識に従った方が人生は上手くいく」という話はもうこの界隈にいる人なら耳タコものだと思うのだが
この理論も、我々には自由意思はないという仮説が正しいとすると、かなり合点がいく。
つまり、どこからともなくわいてきた興味関心に従うということが潜在意識に従うということ。
行動するか否かには自由意思があるので、逆らうことももちろんできるけれど
そうなると潜在意識の意図を無視することになる。
また、よく「偽物の願望を持つ」ということも言われるが
これは、例えば
これをやれば儲かる
皆やってるから自分もやる
将来役に立ちそうだからやる
虚栄心のためにやる
みたいな、顕在意識が作り出した興味関心である。
これは潜在意識から発生する問答無用のものではないから
別にやってもやらなくてもどっちでもいい。
偽物の願望だから、上手くいったり上手くいかなかったり様々だ。
こんな感じで潜在意識の意図を無視したり、偽物の願望にかまけていると
本来の人生の流れに乗るということができなくなる。
だから多大な努力が必要だったり、上手くいかなかったりするのか。
無視したり押さえつけたりすることはできるが、
最終的にこれに取り組むか取り組まないかに私たちの自由意思はない。
潜在意識からのオーダーは問答無用だ。
のらりくらり逃げていると、何回も何回も「ほらこれやれよ!無視すんな!」と再配達が来る。
私たちはこの流れに乗る以外に、次に駒を進めることはできない。
進んでいるように見えても同じところをグルグルしてる。
行動の選択には自由意志はおそらくあるのだが、
潜在意識のお気に召さないことをやっていたら先に進めないので
結局全てにおいて私たちには自由意思はないということになるのではないか。
何個か選択肢があるだろうとは思うけどね。
うーん、なんとなくそんな感じかなあ。
引き寄せでは願望実現が大きな目標みたいになっているが
そもそもどんな願望を抱くのかという時点で、私たちには本来決定権はないのかもしれない。(偽物の願望以外)
意識の世界では私たちは無力。
なーんもできない。
ただただ流れに身を任せるのみ。
多分ね!