誰にも愛されてないあなたが誰かの唯一無二になる方法

思ったんだけど。

例えば恋人がいないとか友達がいないとか家族がいないとか
私は誰にも必要とされていない、誰にも愛されていない
だから生きている価値がない
という感覚がある人はいるだろうか。

私も思うよ。
誰にも好かれていないわけではないけれど、
「一番ではない」って思ってる。

友達も、
私のことを好きだと言ってくれる人も
私の作品が好きだと言ってくれる人も
「でも私より優先する人がいるでしょ?」
と思っている。

さらに、
誰にも愛されてないなら生きる価値なんてない、と思ったり。

私はずっと、
誰かの一番じゃない=愛されていない=価値がない
だと思っていた。

これ、自分では本当に言語化する必要もないほど当たり前のことだったんだけど
よく考えると
めちゃくちゃ自分を追い詰める考え方だなと思うようになった。

他人が私のことをどう思うかなんてコントロールできないじゃないか。
そんなことに自分の存在価値を置くのは危なすぎる。

でも、多分そういう人は私以外にもいると思う!

その寂しさを消せる一番一般的で効果的な方法が
「親になる」
なのだと思う。

親は子供に無償の愛を注ぐというが
子どもから親に対する愛もそうとうのものだ。

一番確実に、誰かの唯一無二になるのが
「親になる」なのだ。

もちろん世の中の人の大半はそんなことを考えて子を持とうとはしていないと思う。
自然の流れで子供を持っているはずだ。

そういう人にはこの記事は不要だと思うので読まなくていい。

でも一定数は無意識的に
愛されたいという理由で子供を欲している人もいるのではないか。

そして自覚していない人の方が多いと思う。
そういう人はそうとう苦しいだろう。

私もそういうのが心の奥底にあったと思う。

とはいえ、子供を持つっていったって今すぐできるわけではないし
そもそも一人でできることではないし、身体的にできない可能性だってある。

そういう場合は誰にも愛されることなく一生を終えるのだろうか。

今日はそういう人のために、あなたがとても愛されていて、世界に存在していてもいいという証明をしたいと思う。

まず、生きている時点で世界に愛されている

まず、「一番じゃなければ私は愛されていない」という前提から覆した方がいい。

愛されるというのは、別に一番じゃなくても成り立つことなのだ。

パートナーがいるとか、自分には親友がいるとか、そういうのは人によって違うと思うが
まず全員にもれなく当てはまることがある。

ただ生きているというだけでもあなたは世界に愛されている。

社会や世の中は不平等だが、
世界は平等に、この世界にいるものを愛している。
あなたのことを一番にはしていないが
逆に言うと誰のことも一番にしていない。

「こいつは好きだから太陽光を多めにあててあげよう」とか
「こいつは要人だから体感温度を下げてあげよう」とか
そういう贔屓はない。あったらヤバい。超常現象だ。

そして自分の心臓を自分では止められない。
じゃあなぜ動いているんだ、っていうと、
生きることを世界に許されているから
としか言いようがない。

大気中には酸素があって、呼吸ができるような身体構造になっているのだ。
仕方がないだろう。


世界は平等に、この世界にいるものたちに存在することを許している。

そして、親から身体を受け継いでいる。
多少気に入らない点はあるかもしれないが、これほど大きなプレゼントはあるだろうか。

もし仮に親には愛されていなかったとあなたが思っているとしても
身体をもらった時点で、少なくとも世界には愛されている。
当然お金には換算できない。

さあ、世界からあなたへ
どれだけ大きな愛を送られているのかおわかりいただけただろうか。

誰かに名前を付けてもらったなら、
さらに愛されている。

この愛ある世界で生きていくための名前だ。
少なくとも、不幸になってほしくてつけられる名前はない。

もし、名前を付けてくれた人がもうこの世にはいないとしても
この時つけられた名前は生涯有効だ。
あなたがその身体でいる限り、名前を付けてくれた人の願いはずっと宿っている。
生きることを許されているのだ。


生きることを許されたから生きていく。
願いを込められたから生きていく。
それで別にいいじゃないか。

私も、「私には生きる価値がない」とネガティブモードに陥ることがある。

そのたびに自分の身体に意識を向ける。
息を止めると苦しい。
おいやめろ!殺す気か!!!となる。
身体はめちゃくちゃ生きる気満々である。

身体が生きたいと思って動いているのだから、生きるには十分な理由になるだろう。

そもそも既にあなたは誰かの唯一無二である

以上は前提条件。

まあ確かにあなたは世界に愛されているんだけど
そもそも、あなたは生まれた瞬間から既に誰かの唯一無二の存在である。

自分自身だ。

どこへ行っても何をしていても誰といても
必ず自分という存在は常に一緒にいる。

もし世界中自分以外の人間が全員死んでしまったとしても、
自分が生きていれば世界は続く。

もし自分が死んでしまえば、
自分以外の人が全員生きていたとしても、
世界は終わる。

誰かに好かれているとか嫌われているとか関係なく
能力の高い低いに関係なく
何があっても、生まれてから死ぬまでずっとそばにいる。

お前なんて知らねえよ!と自分を見捨ててどこかに行くことはできない。

既にあなたは唯一無二の存在なのだ。
こんなに大切で絶対的な味方は他にあるだろうか。

それなのに、
自分自身が誰よりも自分を否定していないだろうか。

一番味方であるはずの自分が、一番の敵になっていないだろうか。

自分からの承認さえとれていれば、他人からの承認なんてあってもなくてどっちでもいい。

パートナーがいるとかいないとか、友達の数とか、
関係ない。

自分の承認が取れるかどうか。
大事なのは本当にそれだけ。

他人から愛されているかどうかで自分の価値が上下してしまうのは
自分で自分を承認できていないことが原因。

そういう状態だと、そもそも他人を愛することも難しいと思う。

自分が何をしていようが、どこにいようが、
誰に愛されていようがいまいが、
仕事が上手くいっていようがいっていなかろうが、
まずは存在そのものを受け入れること。

まあ自愛ってやつだね

いわゆる自愛と言うものなんだけど
自愛って、私ってサイコー!めっちゃかわいいー!!!
ていう感じじゃなくて、
どんな自分も自分として受け入れること。

他人に愛されることはあるかもしれないけれど
多くの場合は限定的でしょ。

顔がかわいいからとか、
しっかりしてるからとか、
性格がいいからとか、
スタイルがいいからとか、
お金を稼ぐ能力があるからとか、
面白いギャップがあるからとか
何かしら好きになった理由があるはずだよ。

ありのままを受け入れてくれる存在なんてそうそういない。

親だって、もし私が犯罪を犯したら否定すると思う。そんなはずない、そんなことする子じゃないって言う。
優しくて道徳的な娘だと思いたがると思う。
別に親に愛されてないとかそういう意味ではなくてね。そういうものだから。

でも自愛にはそういう条件なんてない。

本来、親の愛よりも絶対的でパワフルなものなのよ。

ただ存在してくれているだけでOK。
なんかダサい部分があっても、ダサいことは受け入れて、まあ人間だしな、でOK。


直したいところがあるなら直していけばいい。

ダサいから愛しません!!
なんてことはしないのよ。
本来、自分自身は。

自分自身の愛の深さに気づいてくれただろうか。

だからとにかく、大切で唯一無二な自分を否定するのを
今日から辞めよう。

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