先日、8ハウスの木星ノーアスペクトのことを考察しました。
実は太陽もノーアス気味なので、こちらも考察したいと思います。
※木星ノーアスペクトについてはこちら

↑この記事では、ノーアスペクト天体は生まれたままの環境では導いてくれる存在が身近にいない、と結論づけました。
大枠は太陽ノーアスペクトの場合も同じです。
ここで私の経験を例に挙げて考えていきます。
一般的に、太陽は父親や夫を表すと言います。
ノーアスペクトだと、父親が不在がちとか、晩婚になりがちだとよく聞きますね。
私もミドサーでいまだ独身なので、結婚しづらいのは傾向としてはあり得なくはないと思います。
しかしそれは二次的なものだと思うので
今回は父親という観点で考えてみたいと思います。
特に私の場合は太陽が10ハウスなので、
社会での個人のありかたというのは非常に重要なものです。
それをふまえて、最近思ったことを書きます。
まず、私はごく一般的な家庭で育ちました。
でも、社会で生きる術みたいなものはあまり教わっていないような気がします。
いま社会の中で生きている私の行動指針は、他人から教えられたものばかりです。
メンターがいるわけではないけれど、
一人一人が少しずつ私に何かを教えてくれたり気づかせてくれて、
今社会に生きる私という人格が出来上がっています。
まあ多くの人がそうやって大人になっていくのだとは思いますが、
私の場合は父がかなり特殊です
ぜんっっぜん怒らないし、ぜんっっぜん意見を言わないし、ぜんっっっぜん人に対してああしろこうしろと言わない。
なにを考えているのかよくわからない感じです。
寡黙で背中で語るような親父、というわけでもなく。
意見が通らないだけとか、母に遠慮してるとかでもなく。
ずっとご機嫌で、自分の世界だけで生きているような、こちらに干渉してこないよくわからない妖精さんみたいな感じです。
自分の父親に対して
「よくわからない妖精さん」みたいな表現することある?w
もちろん、ギャンブル狂で借金だらけ!みたいないかにもな毒親ではないです。
なんかこう、アウトローなエピソードのある面白い父親というわけでもなく
本当によくわからんって感じ。
ちなみに真面目に働いていました。
でも、なんていうか、
「父の教え」みたいなのが全然無い。
仕事の話を聞いたこともない。
母からは生活面での指針みたいなのはいろいろ受け継いだ気がするのですが
父からは本当にないんです。
なにか父の意見を聞いたこともないんです。
叱られたことすらないんです。
社会で生きることがどういうことなのかとか、その中で考えていることも聞いたことがない。
ああ、太陽ノーアス気味だわ。そりゃ。
死別したわけでもないし、不仲なわけでもないし、
仕事で忙しすぎて不在がちだったわけではないんです。
↑教科書通りの太陽ノーアスの解釈
でも、自分の中に父から受け継いだ教えや哲学がない。
知人男性と話していると、
結構自分の人生論とか哲学みたいなのを子供に聞かせたり
教育方針に反映させたりしてるんだな〜と思うことがよくあります。
これけっこう自分的には驚きだったんですね。
それって親の教育の範囲なんだ、みたいな。
で、「ああ私はそういうのはなかったんだな」と理解しました。
もしかしたら本当はあったんだけど、私には気づくことができなかっただけかな?
本当はもっと知りたかった。
貯金した方がいいとか、堅い仕事についた方がいいとか、大学に行った方がいいとか、
そういうのじゃなくてさ。
そしてこれを書いている今、やっと納得できました。
両親もただの人。
出来ることもあれば出来ないこともたくさんある、
間違えながらも必死に子供を育てた、ただの人だったんだなと理解できました。
両親なりの愛を与えてくれただけでも御の字です。
あなたたちのものに生まれてこれてよかった。本当にそう思いました。
そして、教えてくれなかったからこそ手に入ったものもあります。
親の価値観が混ざらない、
「純粋無垢な私が作りあげた、社会で生きる私の姿」。
それが太陽ノーアスだ!
親の価値観とは、時に強制的で、子供にとっては逃れられないものです。
私には、父からのそれはなかった。
教えられたものがなかったから、反発することもなかった。
反発することもないから、その過程で生まれる自分の意見が生まれるタイミングが少なかった。
もちろん、他人の価値観をとりいれることもあります。
でもそれはあくまで自分で取捨選択しているものなので、
親から自動的に引き継がれるもののような強制力はありません。
太陽ノーアスペクトは
初期設定では無色透明な太陽。それを色付けしていく感じに近いと思います。
それはやっぱり他人との関わりが必須です。
もともと父親から無意識につけられた色がないので、初期設定では比較になるものもないわけです。
何色が好きなのか、何色が嫌いなのか
どんな色にすればより良くなるのか、わからないんです。
だからなかなか自分の行きたい方向性がわからない、ということになりがちなのかと。
だから太陽ノーアスペクトは、できるだけ若いうちに多くの人や文化と関わり、
ときには否定されたり、いやな思いをしていく中で
「ああ自分はこれが嫌なんだ」「ということはこれが好きなんだ」
ということを学んでいく必要があるのだと思います。
きっとそれは、ノーアスペクトじゃない人からしたら、もっと幼少期にやっていたことのはず。
というか、もっと小さなコミュニティのなかの小さな差でも気づくようなものだったはず。
子供のころから不思議だったんです。
なんでみんなそんなにあれが嫌これが嫌って言ってるんだろう。って。
いい子ちゃんぶりっこみたいなのでリアルでは言えないんですけどw
本当に疑問だったんですよ…
嫌いな人なんていなかったし
気に入らないこともなかったし
わざわざ悪口を言いたくなるような出来事がなかった。
で、それらの感情を初めて理解できたのが、
自分がいじめられた時です。(小学校高学年から)
この時も親や教師の介入はなかったので、
自分の中に芽生えた感情だけで一つの価値観が出来上がったようなものでした。
まだ社会を知らない子供が塗った色です。
今思うととても幼稚だったのですが、世間一般的にはこうだとか、こうあるのが正しいとか
そういう一般論が混ざらない純粋な自分の色がついた瞬間だったと思います。
今となってはしっかり
「は?なんだあいつ」とか「こいつシバいたろか」とか思いますw
太陽ノーアスペクトだと、
ちょっとした違いでは「これ嫌い」「あれ嫌い」というのがわからず
これくらい大きな幅を持った違いがないと自分の価値観を作れないのだと思います。
そしてその中で作られていった太陽は
誰よりも突き詰め、自分というものを煮詰めたものが仕上がる。
そのかわりそこまでいくのが難しい。
なんか自分のことがよくわからないな〜という状態のまま進んでいく人生もあり得ると思います。
そんな感じです。
私の場合は、「ノーアス気味」なので
たまに水星が「なんかもうちょっと派手にできません?」
とちゃちゃを入れてきたり
(オーブ6.4の合)
たまに冥王星が遠くの方から駆け寄ってきて
「そっちじゃねえよ馬鹿野郎!!」ってシバいて去っていってくれます。
(オーブ6.8のスクエア)
また、冥王星と太陽のハードも父親との関係性の問題を現すことがあるので
こっちが効いている可能性もあります。
ここまでノーアスノーアス言っておいてなんですがw
そしてなんとなく、太陽ノーアスペクトや冥王星とのハードのある人は
「親を越えていく」という小課題があるのかもしれないと思いました。
それそのものがテーマではないんだけど、そうしないと先に進めないような感じ。
親離れとはまたちょっと違うような。
親を越えるとは、
素晴らしい親だ!とか、私は両親を尊敬している!とか言って親の生き方を踏襲するわけでもなく
うちの親はとんでもない奴だ!とか責めるわけでもなく、
「私の親もただの人なんだな」と理解することが最初の一歩だと思います。
それが子から親に贈る最大の愛なのではないか。
どちらの配置も、他人から提示された指針で動くようなものではありません。
他の支配をうけない分、暴走しやすいということを自覚して、
自分でしっかり手綱を握ることが必要なのだと思います。
そして、身体的に大人になるのはやはり親や周囲の大人の力のおかげなのですが
中身は自分が自分の親になるような意識が必要なのかも。
自分で自分を育てていくような感じ。
またなにか気づきがあれば報告します。